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Tomioka / Fukushima

平山 勉 とは何か!?
〜涙と汗の物語〜
昭和41年9月29日富岡町出身。 母は割烹ひさご、父は平山自動車工業を営み、 その二男として誕生。
昭和57年 富岡一中卒、昭和60年 磐城高校卒
小中学時代は野球、高校時代は1年だけサッカー部で、あとの2年はTokyo No.1 Soulsetの渡辺俊美とバンドを組み、ヘビメタバンドをやっていた(担当はギター)
既婚、一児の父
昭和62年 武蔵野音楽学院卒
平成元年 タワーレコード入社
以降、六本木WAVEなど数社で、東京砂漠の中で様々な社会経験を積んだ。
平成12年 インディーズレーベル NomadicRecords設立
下北沢、渋谷、新宿などのライブハウスを中心に、インディーズブームに殴り込み、ACIDMANやそれでも世界が続くならの前身ドイツオレンジなどを生み出す!その他、ラジオ番組、音楽制作、イベント制作など。
平成21年4月/父の会社(有)ホテルひさごを継ぐため富岡町にUターン。フロント業務から掃除まで、日々汗を流してきた。同時並行してNomadicRecordsでは東北発信のインディーズレーベルとして、福島、宮城、山形を中心にアーチストの発掘、リリースを継続。地方発信の音楽レーベルとしてはそれなりに認知されてきた。

平成23年3月/まさかの震災によりいわき市に避難、富岡町民を中心に安否確認に奔走すると同時に、支援物資を集め各避難所に送る。
平成23年8月/月の下歩道橋に「富岡は負けん!」横断幕を掲揚。富岡町民だけならず、他町村民の方やイチエフ作業員の方まで勇気を与える。のちに初代は震災遺産としてとみおかアーカイブミュージアムに寄贈。2代目は福島県立博物館に寄贈。
平成23年10月/ほとんど役に立たなかった町のホームページに剛を煮やし、自ら富岡町の情報発信サイト『富岡インサイド』を立ち上げ、支援情報や富岡町の現状を発信し始める。
平成25年10月/それまでのボランティア活動を更にスケールアップするため『相双ボランティア』を立上げ 。家の片付け、家財搬出から草刈り、樹木伐採など、帰還困難区域でもどこでも活動する団体として、双葉郡住民のために尽くす。

平成27年7月/双葉郡未来会議立上げ。バラバラになった双葉郡住民の新たなコミュニティづくりと情報の共有、発信を始める。
平成28年4月/翌年の居住制限区域の避難指示解除を前に、ホテルひさご営業再開


平成29年4月/富岡町の避難指示が一部解除され、町が式典もなにもやらないというので、業を煮やして、『感謝と追悼の竹灯り 「富灯り」主催する。深夜0時の解除の瞬間には遅い時間帯、しかも雨天にも関わらず約300人の人が集まった。

平成29年9月/家の修繕を終え、当時認知症だった母親と一緒に、富岡の自宅に帰還を果たす。しかし、母親の介護と仕事の両立に悪戦苦闘する(令和5年4月他界)。
平成30年8月/震災後富岡で初のロックフェス「とみROCK2018」を主催。津波被災を受けた沿岸部に、1000人の熱い思いが集合した!
出演/ACIDMAN、渡辺俊美、葛城ユキ、LOST IN TIME、百々和宏(MO’SOME TONEBENDER)、タテタカコ、片平里菜など
平成30年11月/双葉郡の情報発信センター 「ふたばいんふぉ」オープン。情報発信とともに、地域の交流の拠点、学びのプラットフォームとして機能(2024年3月末日閉館)。国交相認定の震災伝承施設第3分類に認定される。

令和3年3月 町内に若い人たちが気軽に宿泊できる場所がないことに業を煮やし、自宅を民泊登録して、富岡町で初のゲストハウス「ゲストハウス135」をオープン
令和4年1月 帰還困難区域だった夜の森北、大菅地区の立入規制が緩和されたが、町が式典もなにもやらないことに業を煮やし、竹灯りイベント「RELIGHT 夜の森 2022」を主催。夜の森の平和を願いたくさんの人が点灯に参加。


令和4年 当時56歳にして第一子(女の子)誕生!子育て奮闘中!

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